2018年2月25日日曜日

人間とは何か?などという前に、何が人間か?を。#キリスト教

聖書に誰でも自分がされたら良いのと同じようにしなさいとあるけど、キリスト教の歴史はそうではなかったよね。「人間とは何か」という問いかけはするが、「何が人間か」という問いかけはあまり聞いたことがない。あなたが認める隣人は誰のことですか?貧しい人や障害者、年寄り、子供、外国人、難民はあなたの隣人ですか?果てはうち捨てられた犬猫はいかがですか?

聖書にも善きソマリア人という話があるのだがね。限定的な博愛主義なんて盗人でもやってることですし。やはり人間なんてそんなもん、救いはイエスのほかにはないとしか言いようがないです。

…というのが2017年のクリスマスに考えたことでござんす。なお、以下のこの部分は私の心に信仰のくさびとなって打ち込まれており、各方面への微力ながらの寄付や、特に鍵しっぽの保護には大いに影響していることを付け加えておきます。

(ルカの福音書10章30〜37節)
イエスは答えて言われた。「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎ取り、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。 たまたま、祭司がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。 同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。次の日、彼はデナリ二つを取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」

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