2017年4月25日火曜日

灰ねこの詩

野良とか野生は自由でいい?
自然だからいい?
そんなわけないでしょう。

空きっ腹抱えて、ぼくはいつもご飯を探してる。
みつけたら食べられるだけ食べる。
残したら誰かに取られてなくなっちゃうから。

喉が渇いても好きな時に水を飲めない。
水溜まりを、ぼくは探して歩く。
濁った水でも飲まなきゃならない。

安心できるお家もない。
ぼくはいつもうとうとして過ごす。
ぐっすり寝てたら怖い目にあうから。

凍てつく季節は一番つらい。
病気になっても布団もない。
ぼくは春を待てずに逝くかもしれない。

おいしいご飯、たっぷりのお水、
あったかいお家、安心な寝床、
あったらいいな。

あったら、もっと長生きできるのになあ。
…できたのになあ。

2017年4月14日金曜日

田中正造の遺した言葉:変わらぬ日本

 私は時々、田中正造の足跡を辿っている。田中正造とは明治時代に生きた栃木県の政治家だ。国策事業である足尾銅山から流出した鉱毒に苦しむ渡良瀬川流域の農民を守るため、国家権力と生涯戦い続けた人である。特に有名なのは明治天皇への直訴(1901年12月)だろう。 その場で取り押さえられて失敗に終わり、直訴状は天皇に届くことはなかった。

 直訴状は佐野市郷土博物館に収められているのだが、2014年5月に現在の天皇がこれを訪ねてそれを目にした。あれから実に113年、直訴状はついに天皇に届いた。これにより「不敬」とされた田中正造の名誉は完璧に回復された。

 佐野市郷土博物館を訪ねた。佐野市の歴史民俗をテーマとした博物館であるが、一般の常設展示室とは別に田中正造関係専門の展示室が設けられていて、そこに直訴状その他の手紙、遺品などの歴史資料が展示されている。これらを見るとわかるが、田中正造は近代思想に対する見識に非常に優れていた。彼は明治期に精神の近代化に目覚めているだけでなく、それを体現した数少ない日本人の1人である。

 ここで私が目に止めた彼の言葉を紹介する。


最期の言葉「大勢、見舞いに来ているそうだが、うれしくも何ともない。みんな正造の病気に同情するだけで、正造の問題に同情しているのではない。おれはうれしくも何ともない。行ってみんなにそう言え。」(1913年9月4日、71歳、病床に看護主任を呼んで)

 死の淵にあって最期まで、自分のことより自分が取り組んできた問題(足尾鉱毒事件:渡良瀬遊水池用地としての谷中村廃村問題)のことを見舞いの人たちに遺言して、未来を託したのだろう。


日本人論「日本人の気風は下より起こらず、上よりす。民権も官よりす。日本の民権は、民人より発揚せるにはあらざるなり。憲法すら上よりす。ああ、一種不思議の気風なり。」(1911年69歳、日記より要約)

田中正造が当時としては極めて先進的な思想を持ち、それを体現していたかがわかる。また、日本人の気風「お上にお任せ」という民度は、戦前どころか明治から変わっていないということだろう。


佐野市郷土博物館の近くには、田中正造旧宅 も史跡として残されている。館林市には 田中正造記念館、渡良瀬遊水池には 旧谷中村跡 、古河市には 田中正造翁遺徳碑 がある。墓所も数箇所ある。田中正造を知る上で、ぜひとも佐野市周辺を訪れてみると良い。

2017年3月25日土曜日

違憲の疑いがあることが教科書に載る

日本の集団的自衛権の行使については現時点でも多くの憲法学者や法律家の多くが違憲または違憲の疑いがあるとしている。しかし、2014年12月14日の衆院選で私たちが追認してしまったわけで、これも仕方ないことなのだろう。これからの子供達は、集団的自衛権の行使を肯定する授業を受けるわけだ。しかも、統治権力を司る「公務員」教師の指導で。

共謀罪や道徳教育の義務化などでその影響が直接身に降りかかって来ようとしている今、憲法問題にあまり関心のなかった人でも国家権力は制限されるべきということがだんだんわかってきたと思う。

朝日新聞:パン屋「郷土愛不足」で和菓子屋に 道徳の教科書検定
http://digital.asahi.com/articles/ASK3P7KX3K3PULZU00T.html?rm=1023